金崎夢生のポルティモネンセ時代。ポルトガル滞在時の2つのレポートを振り返り、いま思うこと

レンタル先であるポルトガル2部ポルティモネンセへの復帰が濃厚とされている鹿島FW金崎夢生。同選手は、ポルティモネンセで10番を背負った主軸選手であり、現在2部8位に沈むチームが1部へ昇格するための切り札とみなされている。

ポルティモネンセ時代の金崎は、言葉通り、チームの中心選手であった。筆者は2013年9月から2014年7月にかけてポルトガルに滞在していたが、2回ほどポルティモネンセの試合を現地で観戦し、そのレポートをブログに掲載していた。今回は、日本では馴染みのないクラブ『ポルティモネンセ』で、金崎夢生が「無名のアジア人」から「チームの有力外国人スケット」にまで短期間で成長した様がよく分かる、過去に執筆した2つの記事を紹介したい。

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1つ目が、2013年9月、金崎がポルティモネンセへ移籍した当初のものである。当時はまだその名が知れず、チームメイトや監督から確固たる信頼を得られていなかった。

『金崎夢生、偶然の遭遇』

(!記事中では、ボアビスタとポルティモネンセを2部のチームと、そして2部を実質3部と記載しているが、これはまだポルトガルサッカーにあまり精通していなかった筆者の勘違いによる誤り。実際には、当時のボアビスタが3部、ポルティモネンセが2部に所属していた。また、2部は文字通り2部である)

しかし、その約4ヶ月後、2014年1月に再び生観戦へ訪れると、初回とは全く印象の違う、たくましい金崎夢生の姿がそこにはあった。チームメイトと笑顔で談笑し、彼らのパスを大声で呼び込む、まさにチームのエースだったのだ。

『 金崎夢生を追って』

筆者は、鹿島アントラーズで披露した裏へ抜け出すスピードや相手を背負った状態でのポストプレーといった現在の金崎の武器は、このポルティモネンセ時代に鍛えられたと感じている。一端のアジア人がチームの10番を背負うエースになるのである、尋常ではない努力や葛藤、挫折があったのだろう。

日本代表のワントップに選ばれるまでになった金崎の成長は、日本のサッカーファンならば、今季大いにその目に焼き付けたことだろう。海外から帰国した金崎の強さは、明らかに以前のそれをはるかに凌駕していた。確かに、日本で彼のプレーを見られなくなるのはもの寂しい。筆者自身も、ナビスコカップの決勝を観に行った際には、ポルティモネンセ時代の金崎を思い出し、そのバイタリティー溢れるプレーはポルトガル滞在時期の懐かしさを筆者に想起させた。確かに、彼の海外復帰はJリーグにとって大きな損失となるだろう。しかし、復帰が濃厚とされているポルティモネンセには、金崎がここまでタフに成長できた厳しい環境がある。1人のフットボールプレイヤーとしての成長を思うと、彼の海外復帰を応援せずにはいられないのもまた事実なのだ。