【1章】悲劇の少年期。試練を乗り越え夢のクラブへ

天国と地獄を彷徨ったベンフィカから、愛する心のクラブスポルティングへ。老将ジョルジ・ジェズスの人生に迫る【序章】

ジョルジ・フェルナンド・ピニェイロ・デ・ジェズスは、1954年、リスボン南部の街アマドーラにて生誕した。父は、40年代に地元スポルティングのフォワードとしてプレーしたビルゴリーノ・デ・ジェズス。熱狂的なサッカーファンであった祖父と、自身がプロ選手である父らに囲まれ、ジェズス少年は幼き頃からサッカーボールとゴールネットに囲まれた環境で育った。

ジェズス少年がサッカーの道を歩むきっかけを作ってくれた祖父は、1967年の夕方、突然この世を去った。

家族は、ジャモールにある国立競技場にて、ビトーリア・セトゥバル対アカデミカの一戦を観戦していた。試合は延長戦に突入し、スコアは2-2のドロー。悲劇は前兆もなく突然に訪れた。同じくスタジアムで観戦していた祖父が急病に倒れたのである。当時、ジェズス少年がまだ13歳の頃。愛する祖父は、無情にも帰らぬ人となった。

幼き日のこの一件から、ジョルジ・ジェズス監督は、この国立競技場で試合が行われる際には必ず、「勝利は祖父に捧げる」と哀悼の意を示している。

祖父との思い出を胸に、ジェズス少年は愛するクラブ、スポルティングでプレーすることを夢見た。しかし、神様は悪戯にも、少年にさらなる試練を与えた。15歳の頃に所属した地元の小クラブ、エストレーラ・ダ・アマドーラでは、喘息を患った関係で、6ヶ月間プレーできない状況が続いた。

祖父の死と喘息による中断。悲劇と困難を乗り越えついに夢を叶えたのは、ジェズス少年が17歳の頃。念願であったスポルティングの下部チームへの移籍が実現したのである。

それ以来ジェズス少年は、家業を手伝い、サッカーの練習をしながら学校へ通うという、あまりに多忙な生活を送った。疲労のあまり、ある日の夕食中に銀のスープ皿を枕に眠ってしまったというエピソードもある。

見かねた父ビルゴリーノは、息子に選択を迫った。学校かサッカーか。どちらか1つに絞った方が良いという、息子への愛情からだった。当然ながらジェズス少年は学校を辞め、サッカーで生計を立てる道を選んだ。まさか40年後に、早くして断念した教育の道の最高峰である大学で、自身が講演をすることになるとは、当然のジェズス少年は知る由もなかっただろう。多忙な時間を過ごした当時を振り返り、ジョルジ・ジェズスはこう語っている。

「父と母は私に、自分がどうしたいのか尋ねてきた。そこで私は、仕事をしながらサッカーを続ける道を選んだんだ」

【2章】ビッグクラブの壁。中小クラブを転々としたファンタジスタ