【2章】ビッグクラブの壁。中小クラブを転々としたファンタジスタ

【1章】悲劇の少年期。試練を乗り越え夢のクラブへ

1973-74シーズン、スポルティングのジョゼ・アウバラーデ・スタジアムは熱狂に包まれていた。ダマスやカルロス・アリーニョ、ヤサルデにマリーニョ。クラブの歴史に名を刻む偉大なる選手たちがピッチで躍動していた。7戦連勝と波に乗りリーグ王者への道をひた走るだけでなく、ベンフィカとのカップ戦決勝に勝利してタイトルを戴冠。シーズンの終わりには、エースのヤサルデが46ゴールを記録して、ヨーロッパNo.1ストライカーに輝いた。

まさにスポルティング黄金時代の真っ只中に、ジョルジ・ジェズス青年はトップチームへ昇格していた。当然、これら名選手がひしめくメンバーに、ユースチームから上がったばかりの若輩者に居場所はなかった。

ようやく上り詰めたスポルティングのAチーム。そこにジェズスの姿はなかった。

トップチーム1年目の攻撃的ミッドフィルダーは、リスボンの北西、「ペニシェ」にいた。ペニシェは、弱小クラブながら、当時1部昇格を視野に戦っていた。結果として昇格は譲ったものの、技術力に優れたジェズスは、この弱小クラブで一定の評価を獲得した。

翌年、スポルティングはジェズスをオリャレンセへと向かわせた。ペニシェとの共通項は「海辺のクラブ」というだけだった。明らかに違っていた点は、オリャレンセが1部リーグに所属していたという事実であった。

初の1部挑戦を経て、ジェズスの才能は開花。印象的なプレーで観客を魅了し、ゴールを積み重ねた。ベレネンセス相手に計2ゴールを決め、ビトーリア・ギマラインス、ビトーリア・セトゥバル、ボアビスタを自身の評価を高める生贄にした。

若きジェズスにとって、この活躍ぶりは所属クラブを納得させるには十分なものだった。翌年、スポルティングはオリャレンセで結果を残した若手選手をチームに呼び戻した。1975-76シーズン、ジェズスは幼き頃からの心のクラブ、スポルティングのユニフォームに、プロとして初めて袖を通した。祖父との記憶が蘇った。一生続けと願ったであろう、まさに夢のような瞬間だった。

しかし、期待感に満ち溢れる若者に待ち受けていた現実はあまりに残酷だった。12試合に出場してスタメンを飾ったのはわずかに1度。当時チームを率いたジュカ監督にとって、ジェズスは控え選手以上の何者でもなかった。

その中で、ジェズスが挙げた唯一のゴールは、コインブラにて行われたアカデミコ戦の1点だけであった。マリーニョに代わってピッチに入ったその5分後、チームが4-1で勝利した試合を決定付ける得点だった。

翌年、ジェズスはスポルティングを退団した。幼少期より夢見たクラブと自分自身のキャリアを天秤にかけた苦渋の決断だった。心のクラブを去ったジェズスは、ベレネンセスと契約。しかし、ここでもシーズンを通して1点しか決められず、その後は中小クラブを転々とした。リオペレ(3得点)を皮切りに、ジュベントゥーデ・デ・エボラ、ウニアオン・デ・レイリア、1980-83シーズンにはビトーリア・セトゥバルでキャリアを重ねた。

中小クラブを行き来する中で築いた、か細いながらも高い技術を駆使する典型的なファンタジスタ像。しかし、これまで所属したクラブは強豪とは呼べないチームばかりであり、ジェズスは、自身にスポルティングのようなビッグクラブで活躍できるほどの才能がないことをすでに自覚していた。自身のキャリアはそう長くは続かないだろう。そのように悟っていたジェズスの頭に、監督という将来の選択肢がよぎっていたのは自然の摂理であった。

セトゥバルを後にしたジェズスは、ファレンセへ入団。その後自身が少年期を過ごしたエストレーラ・ダ・アマドーラにプロとして復帰した。晩年にはアトレティコと3部リーグのアウマンシレンセでプレー。そして、1989-90シーズン、当時35歳で選手としての挑戦に終止符を打った。

父の背中を追いかけ、ずっと夢見たスポルティングで活躍する自分自身の姿。しかし、ポルトガルでも有数なビッグクラブの壁は、ジェズスにとってあまりに厚く、そしてあまりに高かった。

【3章】突然の誘い。「クライフ流」を胸に監督の道へ

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