【終章】地獄からの生還とトップクラブへの栄転。そして心のクラブでリベンジを期す

【3章】突然の誘い。「クライフ流」を胸に監督の道へ

順風満帆に思えたフェウゲイラスでの生活にも、ジェズスが知らぬ間に亀裂が生じ始めていた。

ジェズスがクラブへ導入した革新的なメソッドは、監督と選手の間に決して軽視できない齟齬を生み出していた。例えば、ジェズスがアリーゴ・サッキに心酔されて持ち込んだセットプレーでのゾーンマークは、これまで常識的にマンマークで守っていた選手たちを混乱させた。結果的に、彼らが監督へ不平を口にするなどチーム状況は悪化。さらに、強豪並みいる1部リーグでの勝てない日々が、チームの閉塞感を加速させた。

クラブ内部の不満は、ついにサポーターにまで伝染。ある日、1人のサポーターがピッチへ侵入し、ジェズスにピストルを突きつけ、チームを去るように要求したこともあった。

落花枝に返らず。ついには一度離れた選手やサポーターの心を取り戻すことはできなかった。フェウゲイラスは2部に降格し、ジェズスが2部リーグBカテゴリーから昇格させた功績は、すでに過去の栄光であった。

泣きっ面に蜂。チーム状況の悪化だけにとどまらず、ピッチ外でのスキャンダルにも襲われた。所属選手のシセロ・ロペス・ダ・シウバにドーピングの疑惑が生じるなど、ジェズスにとって好ましくない噂が流れ始め、監督の責任問題に。ジェズスの社会的評価は急落した。

失ったイメージを取り戻すのには時間が必要だったが、彼にとっての唯一の救いは、やはりフットボールであった。

フェウゲイラスを去ったジェズスは、ウニアオン・ダ・マデイラの監督に就任。その後、幼少期を過ごしたエストレーラ・ダ・アマドーラへ監督として復帰した。1998-2000年にかけて1部リーグ8位という優れた成績を残し、ジョルジ・アンドラーデとケネディの若手2選手が代表に選出される快挙を演じた。翌年、ジェズスが去ったチームは降格してしまったが、逆に彼の監督としての手腕を際立たせる結果となった。その後、ビトーリア・セトゥバルを1部昇格に導き、その後はアマドーラへの復帰やモレイレンセ監督就任など、1年毎にクラブを転々とした。

2005-06シーズンから、ジェズスはうなぎのぼりにキャリアを押し上げていった。ジョゼ・ゴメスが第5節に早くも解任されたウニアオン・デ・レイリアの監督に就任すると、危機的なチームを立て直し、7位に引き上げた。

翌年にはベレネンセスで、それまでで最高のシーズンを送った。チームを5位に導き、ポルトガルカップでは決勝戦まで到達したのだ。幼き頃の思い出であり、選手時代の因縁でもあるスポルティングとの決勝では、リエジソンのゴールに沈み、惜しくも1-0で敗れてしまったが、翌年も監督を続投。2年目も8位と上位をキープし、翌年、強豪ブラガと契約するに至った。

現在こそ新興勢力と知られるブラガで、ジェズスはリーグで5位に輝き、UEFAカップではパリ・サンジェルマンに敗れたものの16強入りを果たした。この功績が認められ、ついにはポルトガルの頂点である、ベンフィカへ引き抜かれた。

そして物語は序章へ巻き戻る。国内屈指の監督へと成長したジョルジ・ジェズスが就任したベンフィカは、その年リーグ優勝を経験。その後、「ビラス・ボアスvsジョルジ・ジェズス」、「Joelho de Jesus(ジェズスの跪座)」などの困難を経て、国内3冠とリーグ2連覇、EL2年連続決勝進出などの快挙を次々と打ち立て、国内No.1の名将へと登りつめた。

そんな老将は今季、信頼と結果、全てを勝ち得たベンフィカを捨て、愛する祖父と父との幼き日々から憧れるスポルティングの監督に就任した。スポルティンギスタがジェススに対して向ける目は、かつてのか弱きファンタジスタへの不安ではない。中小クラブでの困難を乗り越え、ベンフィカで10つのタイトルを勝ち取った名将への期待感である。

選手時代から監督時代まで、絶えず困難を乗り越えてきたジョルジ・ジェズスは、念願の「愛するスポルティングでのリーグ優勝」に向け、古巣であるベンフィカとの熾烈な優勝争いを今も繰り広げている。

参考文献
『Jorge Jesus -Os segredos e a arte de um dos melhores treinadores do mundo-』
(Rui P. Castro e Matéria-Prima Edições , 2013)

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