『O JOGO』
浦和レッズに所属するブラジル人FWファブリシオが、ESPNのインタビューに応答。ポルティモネンセ加入当時、そして「人生で最も辛い」と語る苦難の時期を送ることになったポルトガル時代について振り返った。
「常にヨーロッパでプレーすることを望んでいた。サッカーをそこまでフォローしているわけではないので、ポルティモネンセのことは知らなかった。名前を混同していて、ポルトのことだと勘違いしていたことを覚えているよ。ポルトガルの空港では移民の男の人に聞かれたんだ。「ここに何をしに来たんだい?」とね。自分はサッカー選手だと答えると、彼はどのチームかを尋ねてきた。私はクラブの名前を知らなかったので、ポルトのBチームだと思っていた」
「自分はポルティモネンセの中心選手のひとりだったし、39年ぶりにライバルチーム相手にゴールを決めることもあった。全てが完璧だった。でも、ポルトガルカップに敗れ、リーグカップも敗退した。しかも1部昇格も逃した。さらに悪いことが起こり、娘が未熟児で生まれ、生後すぐに亡くなってしまった。あの頃は人生の中で最も難しい時期だった。悲しみに暮れていたし、それ以上プレーをする意思も持てなかった。ただただ、妻の力になりたかっただけだった。いま振り返ってみても、どうやってその全てをやり過ごしたのか分からない。神様が私たちに力をくれたのだと思う」
不幸にも娘を亡くしたエピソードは、かつてポルトガルメディアにも語っていたが、ちょうど鹿島アントラーズに移籍する直前のことだった。ポルトに加入するのだと勘違いしてポルティモネンセに加入したファブリシオは、困難な時期を乗り越えて、再び遠い日本国でのプレーを続けてくれている。
「日本へ戻ることも夢見ている」元鹿島FWファブリシオがロングインタビューに応じる https://t.co/oD8nbj0W3r pic.twitter.com/4J4uBD7xS3
— FutePor-ふとぽる- (@FutePor) September 22, 2017
"Quando fui para Portugal confundi os nomes e achei que ia jogar no FC Porto" https://t.co/VqnH2Lh6Kt
— O Jogo (@ojogo) October 30, 2019
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